アントレ教育の壁と可能性――学生が社会で直面する現実と成長のプロセス

アントレプレナーシップ教育は、学生に起業や新規事業への挑戦を促す一方で、学内での支援環境と社会の現実との間に大きなギャップがあります。

学生時代は応援されやすい環境で育つため、社会に出た際の否定や厳しい現実に直面すると戸惑うことが少なくありません。

本インタビューでは、豊橋技術科学大学の土谷徹先生に、学生が直面する課題や技術系大学ならではの強み、そして「プロセス重視」の教育の重要性について伺いました。

目次

アントレ教育と現実社会のギャップが生む「最初の壁」とは

LC Asset Design(以下、LC): まず最初の質問として、アントレプレナーシップ教育で育った属性の学生が実際に社会で起業や新規チームに挑戦する際、直面しやすい具体的な壁や課題について教えていただけますでしょうか。 

土谷氏:どんな人と出会い、どんなことを学んだかによって状況がかなり異なるため、 一概には言いにくいところがあります。そのまま言っても分かりづらいと思いますので、例を挙げて説明します。

例えば今の時代、学生が何か考えて提案すると、周囲にいる支援者は無条件に応援することが非常に多いです。否定する人はほとんどいません。ところが現実社会では、いくら思いがあってプレゼンしても、開発チームのメンバーが興味を示さなかったり、学生時代は応援してくれたのに社会に出ると厳しく否定されることがあります。

さらに良くないのは、開発チーム内での反応が薄い状況で顧客に聞いても興味を示されなかったり、「否定はしないが買わない」という状況になりやすかったりする点です。

本来は学生の段階で、メンターや指導者が無条件に応援するのではなく、議論を通して課題を見つけたり修正したりするプロセスが必要なのですが、それが十分に行われていません。

 LC:たしかに、カリキュラム内での対応と現実社会での対応には、大きなギャップがありますね。

土谷氏:そもそも、メンターや指導員に必要なスキルが十分に備わっていないケースも少なくありません。大した経験もないまま起業経験者がそのままメンターを務めることがあり、学生の改善点を適切に指摘できないことがあります。
 学生は思いだけで突っ走りがちですが、それだけでは社会では通用しません。共感を得ながらメンバーと進める方法を学んでいないと、企業に入ったときに「全部否定される」という状況に直面しやすいです。

LC:他によくある例があれば教えてください。

土谷氏:例えば、開発現場で行われる顧客インタビューです。学生はしばしば顧客のニーズをそのまま鵜呑みにして飛びつきがちですが、これは事業化の段階で問題になります。ニーズが変化したり、仮に売れても長続きしなかったりすることがあるからです。

実際の企業の開発チームでは、直接聞いたニーズをそのまま採用するのではなく、数年後の変化を予測したり、必要に応じてコンサルを活用して潜在ニーズを探ります。

この点で、学生のうちに何でも飛びつく姿勢が身についていると、社会に出た際のギャップが壁になりやすいです。視野が狭くアイデアが凝り固まっている学生も多いですが、実際社会では品質保証や知財、法務、財務など多岐にわたる領域に対応する必要があります。差別化や参入障壁を考慮できないことも、壁になる要因のひとつです。

また、学生時代は否定されにくい環境で育つため、社会に出て厳しいフィードバックを受けると、カルチャーショックのような状況に陥りやすいのも特徴です。

 LC:実際に社会や企業で働く際の壁について、インターン経験でどこまで埋められるのか気になります。アントレプレナーシップ教育とインターンの効果、そして学生が求めるものとの違いがあれば教えていただきたいです。

土谷氏:インターンシップは基本的に親切に対応してくれます。企業側は採用を意識し、学生側も企業を見定めようとするため、お互いに探り合いで、本音のやり取りはあまりありません。企業は悪い部分を隠しますし、真剣な実務に近い経験にはなりにくいです。

アントレ教育も無責任と言えば無責任で、適当にやってしまう人がいるのも事実です。ただ、これからの時代は学び方自体を見直す必要がありますし、企業側も学生を見る視点を変える必要があります。インターンシップもアントレ教育も、より現実の仕事に近い体験を提供した方が良いと思います。

技術系大学が持つ強みと弱み――アントレ教育で発揮できる独自性とは

LC:豊橋技術科学大学のような技術系大学がアントレプレナーシップ教育を行うことで、文系大学と比べてどのような独自性を発揮できるとお考えでしょうか。

土谷氏:その問いに答える前に、まず弱点をお伝えしておきたいと思います。技術系大学というのは、実は創造力があまり高くありません。何かを思い描く想像でも、作り上げる創造でも、どちらの意味でも苦手で、スキルが乏しいんです。その点を踏まえて聞いていただければと思います。

技術系大学の学生は、技術を用いた課題解決能力が非常に高いです。技術に基づく差別化ができるケースが多く、そこから特許が生まれ、それが参入障壁にもなり、自分たちの将来を守ることにつながります。

さらに技術系の大学は、ものづくりの環境が整っているのも特徴です。アイデアを思いついて試作し、仮説検証し、改良して、また検証するというサイクルを迅速に回すことができます。これはアントレプレナーシップ教育の弱点とされる「実践力」に非常に近く、技術系大学の大きな強みだと思います。

LC:創造力に欠けるのは意外でしたが、実践力が身についているのは納得です。

土谷氏:創造力の欠如は深刻な課題です。新しいものを生み出すことが苦手で、改良や効率化の方向にすぐ向かってしまいます。

例えば洗濯の例で言えば、昔の洗濯板を改良する方向には考えられても、現在の洗濯機のような発想には至りにくい。創造力が働かないと、延長線上にない発明は生まれにくいのです。

LC:なるほど。「アイデアが突然ひらめく」といったことがないのですね。この課題に対して、何か改善策はあるのでしょうか?

土谷氏:最近は愛知県立芸術大学と連携を始めています。芸術の世界は継続性がなく、創造力が豊かです。こうした領域と組むことで、相性が良く、アウトプットも大きく広がる可能性があります。技術系大学には強みがありますが、弱点を理解し補完することで大きな価値になると考えています。

LC:芸術大学との共同作業についてですが、これはまだ実行に移されていないのでしょうか。

土谷氏:一応、去年からセミナーを開いたり、高専生のインターンシップの中で取り組んでいます。インターンの前半2日ほどに芸術大学の先生に来ていただき、ワークを行っている状況です。

私自身も工学系出身ですが、工学の発想は必ずどこかで線でつながります。一方で芸術の発想はつながりがなく、突然何かが生まれる。こうした世界は、これからの時代に必要だと強く感じます。

逆に、芸術の方々は課題解決が苦手で、そのツールを持っていない面もあります。だからこそ、お互いが密接に連携すると良いのですが、最初から密着しすぎるのも良くないので、今はゆっくり助走している段階です。

LC:これから交流が深まっていけば、相互に良い刺激を与えそうですね。

学生の成長を測る新たな視点「プロセス」重視の教育

LC: アントレプレナーシップ教育は教育効果が分かりにくいと言われることがあります。学生や企業にその価値を理解してもらうためには、どのような具体的な成果や指標を示すべきとお考えでしょうか。

土谷氏: これは非常に良い問いだと思いますが、真面目に取り組んでいる私たちにとっては一番頭が痛いところでもあります。明確で有効な評価指標というものが、現状あまり存在していないんです。

例えば私たちは名古屋大学を中心とした「Tongaliプロジェクト」を実施していますが、どうしても“起業数”を指標として扱わざるを得ない状況があります。文部科学省も同様で、起業数が増えれば評価される仕組みになっています。コンソーシアム内でも、起業数が増えれば評価されるという流れがあるのですが、私はこれがそもそもの問題だと考えています。

LC:その理由について詳しく教えていただけますか。

土谷氏:本来、ベンチャーというのはビジネスとしてまだ成り立っていなかったり、持続的に運営するための検討が不十分なものも多く存在します。しかし「とにかく起業すれば評価される」という風潮が広がってしまい、実態の伴わない起業が増えている。いわゆる“ゾンビベンチャー”が増加する傾向は健全とは言えません。

アンケート調査も行っていますが、これも非常に怪しいと感じています。学生に「理解できましたか」と尋ねると、多くが「分かった」と回答します。しかし後から確認すると実際には理解していないケースが多く、教育効果を測る手段としては不十分です。

では何が良いのかと言えば、私たちが重視しているのは“学生と企業が出会い、議論する機会を多くつくる”ことです。世の中にはビジネスコンテストやアイデアピッチが多く開催されていますが、本来は企業と学生が出会うチャンスであるはずなのに、実際にはそう機能していない現状があります。

さらに、コンテストのビジネスアイデアはスケールが小さすぎて、事業として成立しないものが大半です。本来はスタートアップに繋がるアイデアを披露する場のはずですが、実際にはほとんど成果になっていません。

LC:たしかに、ビジネスコンテストを「企業と学生が出会うチャンス」と捉えたことはなかったです。また、イベント後にそのアイデアをどう発展させていくかという点で、まだまだ課題がありそうですね。

土谷氏:重要なのは「正しいプロセス」を学ぶことです。ビジネスプランを考える際の背景、気づき、思考過程など、プロセスそのものが非常に重要です。正しいプロセスを踏めば、失敗しても次に同じ失敗をしませんし、成功確率も上がります。私たちが実施しているイベントでも、正しいプロセスを踏んだ学生がどのように成長するかを示すようにしています。

しかし、現在のピッチやビジコンでは、プレゼンの持ち時間が3〜5分と非常に短く、プロセスを語る余裕がありません。私は少なくとも10分程度は確保し、「どのような考えのもと、その結論に至ったのか」を説明できる場にするべきだと考えています。こうした機会があれば企業側も学生の成長過程を理解できますし、学生も質の高いプレゼンを見れば意識が大きく変わります。

以上のように、プロセスを丁寧に見せる機会を増やすことは必要だと思います。しかし「指標をどうするか」と問われると、まだ決定的なものは見つけられていないというのが正直なところです。現状では、今申し上げたような取り組みを通してしか理解してもらえない、というのが答えになります。

LC:指標や結果ではなくプロセスに目を向けるという考え方は私の中になかったので、とても勉強になりました。

大学教育における「良い失敗」の活用

LC: 起業を志す人たちが、失敗を恐れずに挑戦し続けられるような大学や社会、再挑戦しやすい環境はどのように整備すべきでしょうか。

土谷氏:  個人的には、もうすでに失敗に寛容な世界になっているのではないかと思います。皆優しいですし、あまり否定されない環境になっています。ただ、寛容すぎることで、失敗の仕方自体が適切でない場合が多いのが問題です。

重要なのは、改善点や問題点を指摘し、きちんとしたプロセスに沿って行動することです。多くのメンターや指導者は「考える前に行動しろ」と言いますが、私はそれは間違いだと思います。何も考えずに行動して失敗すると、反省点が分からず、同じ失敗を繰り返すだけになります。

一方で、目的や目標を持って行動し、プロセスを踏んでいれば、失敗したときにどこが悪かったのかを正しく反省でき、同じ失敗を繰り返す確率が減ります。小さな失敗をたくさん経験させることが重要で、これが大学教育の資産にもなります。教育者としては、良い失敗、正しい失敗をさせることが大切です。

正しい失敗を積み重ねれば、周囲も「頑張れ」と応援しやすくなりますし、失敗の寛容度も社会全体で高まると思います。メンターや指導者は、このプロセスをきちんと教育に取り入れるべきです。

LC:しっかり考えた上で行動すれば、学生でも起業して良いのか、それともある程度社会人経験を積んでから起業した方が良いのか、どちらの立場に近いかお伺いしたいです。

土谷氏:圧倒的に、ある程度民間企業での経験を積んだ方が良いと思います。理由はいくつかあります。

まず、知財や事業を守る視点が学生には不足しがちです。特許や品質保証、部品の寿命や規格変更など、実務経験がないと分からない問題が多いのです。

例えば、電子機器の部品は2年もすれば規格が変わり、修理ができなくなることがあります。小規模企業が自前で製造ラインを持つことは大きなリスクです。社会経験があれば、どこにリスクがあるか、どのように外部の協力を得るかが分かります。

また、企業経験を通して得られる人脈も大切な財産です。

ですので、学生の段階でいきなり起業するのはリスクが高く、少なくとも3年間程度の社会経験を経て、リスクや仕組みを理解してから起業することを推奨します。

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