かゆみや痛み、そして人のぬくもりといった感覚は、私たちが日常的に感じていながら、言葉では伝えにくいものです。
そうした感覚にテクノロジーで向き合う研究を進めているのが奈良女子大学の佐藤克成先生で、触覚と温度感覚を活用し、皮膚を傷つけずにかゆみを緩和したり、月経の「追体験」を通じて、他者の痛みへの理解や行動の変化を促す試みに取り組んでいたりします。
今回は研究を進めていく中で分かった他者への共感や社会全体の課題について伺いました。

奈良女子大学 工学部 准教授
佐藤 克成 /Katsunari Sato
【プロフィール/略歴】
1983年山形県出身。
2011年東京大学大学院情報理工学系研究科修了、博士(情報理工学)。
同年より学術振興会特別研究員(PD)。
2013年より奈良女子大学講師、2021年より同准教授。
2020年より大阪ヒートクール株式会社の取締役を兼業。
バーチャルリアリティやロボティクスの分野において、温度感覚を中心とした触覚情報の記録と再生技術の研究開発に従事。
温度感覚を活用した「かゆみの緩和」と、遠隔スキンシップがもたらす新たな価値
LC Asset Design(以下LC):先生が研究されている「触覚と温度感覚を伝える技術」は、月経痛の再現以外にも、私たちが日常的に抱えているわかりにくい悩みを解決する製品に応用できるのでしょうか。
佐藤氏:はい。現在で製品化を進めているものの一つとして、「かゆみの緩和」への応用があります。
多くの方は、かゆいときに手で掻いて抑えようとしますが、爪で掻くと皮膚を傷つけてしまい、その傷が治る過程で再びかゆくなるという悪循環に陥ります。
そもそも、人がかゆい部分を掻くのは、かゆみを痛みによって緩和しようとしているためです。そこで、皮膚を傷つけずに痛みを感じさせることができれば、かゆみを抑えつつ、悪循環も防げると考えました。
このときに活用できるのが温度感覚です。40℃程度の温かさと20℃程度の冷たさに同時に触れると、痛みを錯覚する現象があります。この現象を利用し、40℃と20℃の刺激を同時にかゆい部分に与えることで、掻く代わりに痛みの錯覚を生じさせ、かゆみを緩和できます。
この温度帯であれば皮膚への害もないため、繰り返し使用できるという利点があります。
LC:そんな現象があるのですね。
佐藤氏:近年は、空気の乾燥による肌のかゆみを感じる方も増えていますし、アトピー性皮膚炎の患者さんも年々増加傾向にあります。そうした悩みの解決につながる製品になると考えています。
また別の応用例として、もう少し先の話になりますが、心理的なケアに活用できます。身体的・精神的な理由で気分が落ち込んだり、元気がなくなったりするなど、心理的な悩みを抱える人も増えていると感じています。その背景の一つとして、「皮膚接触欠渇望」、いわゆるスキンシップ不足が挙げられます。
スキンシップが十分に行われないと、免疫機能の低下や体調不良につながるという研究結果もあります。
例えば、現在はZoomのようなオンライン会話が主流ですが、映像と音声だけではスキンシップはできません。もし触覚と温度感覚を伝える技術があれば、遠隔で会話をしながら握手をしたり、人のぬくもりを感じたりすることが可能になります。
LC:たしかに、コロナの時は人のぬくもりを感じにくく、気分が落ち込みがちでした。
佐藤氏:私自身、コロナ禍の始まり頃に第一子が生まれましたが、テレビ電話で祖父母と孫が会話する中で、「撫でてあげたい」「抱っこしてあげたい」といった気持ちはあっても、それを実現してあげられないもどかしさを感じました。
ロボット技術や遠隔操作技術と組み合わせることで、遠く離れた場所や、直接触れ合うことが難しい状況でも、遠隔のスキンシップが可能になると考えています。
こうした技術が実現すれば、人との接触がないことによる精神的な不調や、免疫機能に関する問題の解決にもつながるかもしれません。
オンライン化が進む現代だからこそ、直接触れ合うことの大切さを伝え、どうしても難しい場合には遠隔でも補えるようにする。そのために、触覚や温度感覚を伝える技術の開発を進めています。
月経の「追体験」が生む対話と行動の変化――共通体験が理解を深める理由
LC:佐藤先生が開発している技術では男性が月経の追体験をできるようですが、その後、女性への接し方や認識にどのような変化が見られるのでしょうか。また、体験会で印象的だったリアクションがあれば教えてください。
佐藤氏:まず接し方や認識という以前に、そもそも月経、つまり女性の身体的な状況について、男性が女性と一緒に話す機会がほとんどないのが現状だと思います。
月経体験を通じて、男性側から「普段はこんなに痛いのか」と女性に聞くようになったり、女性側も「私はこれより重い」「これは軽い」といった形で、自分の症状について話したりします。
今回の電気刺激を使った再現についても、女性から「この点は似ているけれど、ここは違う」「お腹より腰や頭の痛みのほうが強い」といった具体的な話題が自然と出てきていました。
こうした月経の症状について、男女の間で自然に会話が生まれる場面は、普段なかなかありません。
LC:男女の性に関する話はセクハラとみなされる可能性もありますし、たとえ親しい恋人同士でも話しにくい・聞きにくいですよね。
佐藤氏:はい、一般的な研修会では、講師が話し、参加者がそれを聞き、質疑応答を行う形が多いですが、男性と女性が月経の症状について直接語り合う機会はほとんどないと思います。
その点、体験会という形で男女が共通の体験をすることで、それをきっかけに会話が生まれることは、大きな意味があると感じています。
実際、体験後の話として、完全にリアルな体験ではないにせよ、どれくらいの辛さなのかという一つの基準を知ることで、配偶者やパートナー、部下や上司がつらそうなときに、「少し休んでいいよ」「仕事の割り振りを見直そう」といった行動につながるケースがあると聞いています。
先日、スポーツ関係のイベントで体験された方から、その後の話を伺いました。その方は女性アスリートのトレーニング方法を考えていて、当初はスクワットを予定していたそうです。しかし体調に関する話をしていると、月経でつらい状態とのことでした。
その際、体験会での記憶を思い出し、「あれほど痛いなら、自分ならスクワットは無理だ」と感じ、別のメニューを提案したところ、女性アスリートから「今日はスクワットがきついと思っていたので助かります」などと言われたそうです。
自分自身が体験していることで、どの程度の負荷が厳しいかを想像しやすくなり、女性アスリートとのコミュニケーションが円滑に進んだ、という話でした。
LC:ありがとうございます。このように月経のつらさを疑似体験して行動を変える方もいると思いますが、その一方で行動が変わらない人もいると思います。その理由について、何か分かっていることはありますか。
佐藤氏:この点については、行動に移したかどうか、またその理由を明確に分析する調査は、まだ実施できていません。現在、そうした調査を行う準備を進めている段階なので、意識の変化が行動につながらない理由について、はっきりした答えをお伝えすることはできません。
ただ一つ言えるのは、「辛いことはわかったが、実際にどうすればいいのか分からない」という声をいただくことがある点です。
「月経で苦しんでいる女性に対して、具体的にどう接すればいいのか」という相談を受けることもあります。
実際、どう接すればよいかは個人差が大きいと感じています。気にかけてもらえると嬉しいと感じる方もいれば、普段通りに接してほしいという方もいます。
そのため、どう行動すべきかを考える際、月経中の女性側が望む対応も人それぞれであることが、行動への移しにくさにつながっている面はあると思います。
LC:なるほど。人によって求める行動が違うと、難しいですよね。
佐藤氏:また、体験会を通じても、恥ずかしさが残り、男性とはあまりその話をしたくない、自分の症状を他人に話したくないという方もいます。
そうした月経について話をすることがタブー視されているような社会的事情も含め、具体的な行動に踏み切れない理由の一つになっているのではないかと考えています。
相手の痛みを「決めつける」ことが、最も避けるべきNG行動
LC:先生が体験システムを通して見てこられた中で、痛みが分からない男性が、職場で生理痛などに苦しむ女性に対して、うっかりかけてしまいがちなNGな言葉や、最低限避けるべき行動について教えていただけますでしょうか。
佐藤氏:この質問は「職場で月経痛に苦しむ女性に対して男性が」という文脈だと思いますが、これは男性に限った話ではなく、月経症状に限ったことでもないと考えています。
一番避けるべきなのは、相手の痛みや辛さの度合いを、勝手に推測して決めつけた上で行動してしまうことです。これが最もNGな行動だと思います。
具体例として月経の話で言いますと、これは男性から女性というより、むしろ女性同士の間で起きやすいケースです。月経が軽い女性が、月経が重い女性に対して、「自分は軽いから、他の人も同じ程度だろう」と思い込んでしまい、「月経ごときで休むってどういうことなの?」と言ってしまうことがあります。
また、「月経痛がひどくて今日は一緒に遊びに行けない」と伝えた際に、友人同士であっても「そんな月経痛ごときで、なんで遊びに行けなくなるの?」と言ってしまうこともあります。同じ女性同士であっても、自分自身が月経を経験しているからこそ、「他の人も自分と同じくらいの辛さだろう」と思い込み、決めつけて行動してしまうことがあるのです。
LC:月経痛は個人差が大きいので、こうしたケースは珍しくなさそうです
佐藤氏:これは男性同士でも同じです。たとえば偏頭痛、肩の痛み、腰痛など、さまざまな痛みがありますし、男女問わず更年期障害もあります。そうした症状について、「自分にはないから」「自分はあっても軽いから、他の人も同じだろう」と考えてしまうことは、やはり避けるべき行動だと思います。
関連するエピソードとして、以前テレビ番組で、月経痛体験システムをお笑い芸人のオードリーさんに体験していただいたことがありました。その後の話で、若林さんが春日さんに言っていたのですが、若林さんは学生の頃から偏頭痛に悩まれていたそうです。そのことを春日さんに「偏頭痛がひどくて」と話したところ、「気の持ちようだよ」と返されたそうで、そのできごとを今でも根に持っている、という話でした。
これはまさに、偏頭痛の痛みが分からない人が、「たいしたことではない」「気持ちの問題だ」と決めつけた言動をしてしまった例です。言われた側は非常に傷つき、その記憶が今でも残っているということです。
やはり、相手の辛さを勝手に決めつけ、それに基づいて言動を取ることが、最も避けるべき行動だと考えています。
痛みを推測するより、つらさを言葉にできる環境づくりが重要
LC:痛みは人それぞれだと言われますが、パートナーや職場の同僚の体調の変化や痛みの度合いを、優しく理解するために、私たちが日常でできる簡単な観察ポイントがあれば教えてください。
佐藤氏:正直なところ、これは難しい質問だと思っています。私自身も、そうしたポイントがあれば教えていただきたいくらいです。
結局、この点も先ほどの三つ目の質問に関連すると思うのですが、痛みの感じ方は人それぞれですし、それをどこまで我慢するか、あるいは表に出さないかも人によって大きく異なります。
さらに、二つ目の質問にも関係しますが、気づいてほしい人もいれば、できるだけ気づかれたくない人もいます。そう考えると、推測するのはなかなか難しいと思います。
実際、月経痛の体験を行った際も、女性の方はあまり表に出さないケースが多かったです。男性は苦しそうにする人が多い一方で、女性は淡々と立って「こんな感じですね」とコメントされます。「痛くないんですか」と聞くと、「すごく痛いですよ」とさらっと答えられる。
LC:女性のほうが男性よりも痛みに強い、という話も聞きますが、単に表情に出していない可能性もあるのですね。
佐藤氏:はい、痛みの生じ方も、平然と対応できるかどうかも人それぞれです。特に、痛みやつらさを隠すことに慣れてしまっている方の変化を推測するのは、やはり難しいと感じています。
そうなってくると、大事なのは、つらさを隠さなくていい、つらい時には表に出していい、言葉に出していい、と思える環境を作ることだと思います。
たとえば、つらいと打ち明けられたときに「それくらいで休まないで」と言ってしまうと、また隠すようになってしまいます。そうではなく、つらい時には休める、休憩が取れる、仕事を休める、そうした休みやすい雰囲気や、相談しやすい制度を整えることが大切です。
環境が整っていれば、「今つらいです」と言いやすくなりますし、逆に表に出したときに否定的な反応をされる環境では、表に出してくれなくなると思います。
推測することよりも、自分のつらさを言葉に出せる環境を整えることのほうが、より大事なポイントなのではないかと考えています。
LC:人の痛みを伝える方法として、言葉で伝えるという話があったと思いますが、言葉以外で伝える方法は研究的にあるのでしょうか。たとえば、この人の痛みは数値でこのくらい、というような形です。
佐藤氏:実際、主観的な痛みと客観的な痛みにはズレがあると言われています。本人は大丈夫だと思っていても、実際には大丈夫ではない場合もあります。
そうしたとき、言葉や意識としては出てこなくても、生体反応として危険を知らせてくれることがあります。たとえばインフルエンザで39度近い熱が出ていれば、本人が大丈夫と言っても「寝ていなさい」となりますよね。
人はつらいとき、体温の変化や脈拍、心拍など、何らかの形で体のシグナルとして現れることがわかっています。そうした生理的な信号を計測することで、「今は休んだほうがいいですよ」と伝える取り組みは、すでに行われています。
LC:ありがとうございます。表に出しやすい環境、つまり休みやすい雰囲気を作ることが大事だとおっしゃっていましたが、現代の日本社会では、やはり休みにくい雰囲気の会社のほうが多いのでしょうか。
佐藤氏:今は、どちらかというと休みやすい方向へ変わってきているとは思っています。ただ、社会全体として休みやすい方向に動いていたとしても、個人レベルでは意識の変化が追いつかない場合や、知識不足があると感じています。
実際、私自身も、学生が発案した月経痛の体験システムを体験するまで、ここまでつらいものだとは思っていませんでした。それまでは「たまにお腹が痛いくらい」といった意識を持っていました。
今、女子大に勤めているので、学生から体調不良の連絡を受けることも多いのですが、以前の自分だったら「体調不良が多いな」と、どこか疑いの目で見てしまっていたかもしれません。今は、体調不良の連絡が来たら「しっかり休んで、元気になったらまた頑張ってください」と自然に思えるようになりました。
以前の私と同様に、「一日中寝込まなければいけないほどの症状なのか」「自分の家族はそこまでではなかった」といった意識を持つ人は、まだいるのではないかと思います。研修に参加された方々のコメントを見ても、意識が変わったという方が多くおられます。また、研修をきっかけに職場の環境改善に取り組んだという事例も聞くため、今が変革期にあると思います。
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