子どものインターネット利用をめぐって、親は何を教え、どのように寄り添うべきかという問いは、家庭ごとに答えが異なる難しいテーマです。
学校教育では情報モラルの基本が繰り返し教えられている一方、実生活に根ざした理解や支援は、依然として家庭の役割が大きな位置を占めています。
本インタビューでは、親が子どものインターネット利用にどのような姿勢で向き合うべきかを東洋英和女学院大学の小寺敦之先生に伺います。

東洋英和女学院大学 国際社会学部 国際社会学科 教授
小寺 敦之 / Atsushi Kotera
【プロフィール/略歴】
1977年京都生まれ。2007年上智大学文学研究科博士後期課程修了(博士:新聞学)。2011年より東洋英和女学院大学に着任。駒澤大学、慶應義塾大学等で非常勤講師。2020年より東洋英和女学院大学国際社会学部教授。2013~2025年にはNHK放送文化研究所「子どもに良い放送」プロジェクトに参画。
専門は、メディア・コミュニケーション。人はなぜ「その」メディアを使うのかという問題意識のもと、人をメディアの利用に向かわせる要因、あるいはそのメディアを使うことによって実現される人間のコミュニケーションの解明を目指している。
おもな論文に「メディアの効用認識とモラールの関連性―メディアは『幸福な老い』に寄与するか」社会情報学 7(3)(2019)、「メディアへの信頼:概念と尺度の批判的検討」東洋英和女学院大学人文・社会科学論集42(2025)など。
子どものインターネット利用に親がどう向き合うべきか
LC Asset Design(以下LC):子どもたちがインターネットや動画を見るようになった時、親として最初に教えるべき情報のルールや危険性について伺いたいと思います。
小寺氏:情報を扱う際のルールやマナー、危険性を理解する姿勢や態度は「情報モラル」と呼ばれます。コンピュータ教育の導入に伴って、現在では小学校から大学まで「情報モラル」についてはかなり丁寧に教えられているように思います。
もちろん、知識として十二分に知っておくこと自体は大事です。しかし、学生に聞いても「もう何度も同じことを聞いて知っています」「聞き飽きました」という声が多い。つまり、教えるべき知識自体はすでに十分伝えられている状態にあるように見受けられるわけです。知らないものや未経験のものに対して、知識だけで解決しようとすることには限界があるというのも事実でしょう。
LC:私自身も同じような経験があるのでそう思います。
小寺氏:ですから「最初に教えるべき情報のルールや危険性」について特効薬があるとは思えません。そこで少しアプローチを変えてみましょう。「親として」というご質問なので、親の役割に絞って二つ提案をしてみたいと思います。
極論を言えば、スマートフォンやタブレットが「悪いもの」「有害なもの」「危険なもの」だと思うのであれば、そもそもスマートフォンやタブレットを子どもに与えないという選択もあります。ですが、インターネットはもはやライフラインに近い存在です。危険なものを積極的に利用させるという矛盾が生じますよね。
そうであれば、社会生活に必要であり、メリットがあるものとして、包丁や自転車と同じように、親が手取り足取り教えてあげるという発想があっても良いのではないかというのが最初の提案です。
LC:包丁や自転車と同じように……。その発想はなかったです。
小寺氏:包丁の使い方を教える時も、自転車の乗り方を教える時も、一緒に寄り添って教えますよね。包丁は振り回せば危険ですが、正しい使い方を教えれば生活に必要な道具です。同じように、テレビや映画、ゲームも、親が基準を持って一緒に使い方を教えればよいと思うわけです。
メディア研究の中でも、暴力番組が本当に有害かどうかという議論は半世紀以上続いていますが、結論は出ていません。結局は親や社会の感覚で判断していくしかない。知識だけを与えるだけでなく、ゲームやネットを隣で一緒に楽しみながら、親の基準で良い悪いを伝えていくというわけです。
LC:教える際には子どもの年齢によって、教える内容や関わり方を変えるべきでしょうか。
小寺氏:それも包丁や自転車の例と同じです。親がどう寄り添うかという点は、年齢に応じて変化します。教科書のように「この年齢ならこうするべき」というものではなく、家庭や子どもの状況に合わせて親が寄り添い方を調整するべきです。自分の子どもの状態を最も理解できているのは親だと思います。年齢に合わせてどう変えるかというよりも、目の前の子どもにとって最も適したアプローチは何かを考えれば良いのではないでしょうか。
LC:ありがとうございます。二つ目の提案についても教えていただけますでしょうか。
小寺氏:二つ目は、「何のために使うのか」を明確にした上で使わせることです。
「インターネットは危険」というイメージが先行しがちですが、可能性に満ちたツールでもあります。知りたいことをすぐ教えてくれる存在でもあり、その情報量は本の比ではありません。
以前、子どものテレビ視聴に関する共同研究に携わった際、テレビをたくさん見る、いわゆる「テレビっ子」ほど知的探求心が高く、成績が良いという結果が示されました(※)。もちろんテレビが成績を上げたというのではありません。知的探求心の高い子どもは、テレビでも多くの情報を吸収していたということです。
ネットにも同じポジティブな側面があります。子どもたちがインターネットを使って何をしたいのか、そこをきちんと見極めて、必要に応じて積極的に使わせてあげることが親の役割だと思います。
※飽戸弘・小寺敦之・菅原ますみ・服部弘・一色伸夫(2025)「幼児期と小学校高学年期の欲求充足メディアの変化」放送メディア研究18:149-160.
「正しい情報だけを与える」のではなく、多様な情報環境を整える重要性
LC:子どもに正しい情報と間違った情報の区別を教えるのは難しいと思いますが、家庭で簡単にできる「情報を見極める力」を育てるための会話や遊びがあれば教えていただきたいです。
小寺氏:そんな素晴らしいものはありませんよ(笑)。
ちょっと違った視点で考えましょう。「ノストラダムスの大予言」って知っていますか? 1970年代から流行し「1999年に地球が滅びる」という予言が広まったものです。我々40代以上の世代はみんな知っています。
小学生でも「1999年の何月に地球は滅びる」と話していたほどです。あれは「元祖・間違った情報」ですよね。
LC:確かにそうですね。
小寺氏:何が言いたいのかというと、ネットが普及する以前から、社会には間違った情報がたくさん流布していたということです。そのことをまず理解する必要があります。「ノストラダムスの大予言」に怯えていた人もいれば、全く気にしていなかった人も大勢いたんです。
「正しい情報と間違った情報を区別する方法」という質問はよくいただきます。以前にメディアリテラシーに関する取材でも話したのですが、「正しい情報だけに触れさせる環境をつくるべきだ」という考え方は、まず不可能ですし、場合によっては危険だと思います。
なぜなら、「正しい」という判断は主観的なものだからです。
LC:確かに、線引きが難しいです。
小寺氏:例えば、ある政治家の主張が「正しい」と思う人もいれば、宗教団体の教義を「正しい」と信じる人もいます。昨今話題になっている某宗教も、それが「正しい」と信じている人が徹底的にハマっていったわけです。
「ノストラダムスの大予言」が堂々と出版されてそれなりに売れたように、昔からデタラメな本はたくさんありましたし、新聞やテレビが必ずしも「正しい」わけではない。新聞やテレビが誤報を出すことだってあります。
大切なのは、「正しい情報」を追い求めるだけでなく「違う見方があるよ」ということに気づく情報環境を確保していくこと。世の中には多様な情報が混在しているという事実を理解することです。
自分と異なる考え方や、ネットに書かれていることと違う情報に触れることは、自分が触れる情報に対して盲目的にならないようにする側面もあるのです。
LC:インターネットやAIは自分が興味のあることばかり調べるので、視野が狭くなりそうです。
小寺氏:具体的に言うと、ネットだけでなく、本、新聞、テレビ、人との会話、漫画など、多様な媒体の多様な情報に触れることが必要です。
家庭でも、ネットには載っているけれど新聞には書いていない、テレビでは違うことを言っている、といった気づきの機会が多くあればいい。こうした違いを知ることで、情報の多様性に対する耐性、つまり「リテラシー」が育ちます。
「正しい情報だけを追い求める」のではなく、「世の中にはいろいろな情報がある」という環境に小さい頃から触れていくこと。これが何より大事です。特定の宗教の教義を「これが正しい」とだけ教え込まれた子どもがどうなるかは、想像がつくでしょう。
LC:はい。
小寺氏:「そうじゃない考え方もある」と知ったうえで、多様性の中から自分が何を選ぶのか――その選択肢を持つほうが健全です。会話遊びというよりも、そうした「環境」を整えてあげることが最も大事だと思います。遠回りに見えますが、子どもにとって一番安全で、無理のない方法ではないでしょうか。
SNS上の問題行動は“リアルな生活”の反映である
LC:それでは、今の子どもたちのSNS上での行動や投稿が将来に与える影響、そしてネット上の発言に責任を持つことの重要性を、どのように伝えるべきかについて教えてください。
小寺氏:少し難しい質問ですが、直接の答えというより周辺の話からお伝えします。
メディアの利用というのは、現実の自分自身を反映しやすいものです。正確に言えば、ネット上での行動も結局はリアルな自分のモラルや道徳心に根ざしたものになります。
知識欲がある人や知的好奇心が高い人は、テレビだけでなくネットもそのために使うでしょうし、友だちとの関係を発展させたい人は現実社会と同じようにネットでも関係を深めるために使うでしょう。現実の人間関係があった上でネットがある、というイメージです。
実は、「新しい人間関係を拡大する」というコンセプトでつくられたSNSも、実際にはほとんどがリアルな人間関係をベースに利用されているのが現状です。
全く知らない人との関係づくりよりも、会社や学校で出会った人との関係を発展させるために使われることが多いことが日本だけでなくアメリカの調査でも分かっています。
LC:たしかに私ももともと知り合いだった人と連絡を取るために使っています。
小寺氏:結局、ネットの利用はリアルの生き方を反映するものだと思います。現実世界で自分を分かってもらえなかったり、ストレスを溜めて攻撃的になっていたり、親子関係が悪かったりする場合、ネットでも問題行動を起こす可能性があります。
ネット炎上の研究でも、カスタマーハラスメントを行うクレーマーと、ネット上で悪口を書き込む人は、同じタイプの人間であることが示されています。ネットで悪口を書き込むような人は、コンビニで店員に文句を言うような人だということです。
LC:なるほど。
小寺氏:ですから、ネットでの発言ルールを教える以前に、日常生活で「他人をいじめたり悪口を言ったりするのは良くない」という価値観を育むことです。現実の生活や人間関係がしっかりしていれば、ネットの行動もそこまで心配する必要はないと思いますよ。
LC:確かに悪口を言わないことは大切ですが、声には出さないものの、心の中では嫌悪感を抱くことはあります。そうした感情を持つこと自体は、仕方のないものとして捉えるべきなのでしょうか。
小寺氏:人間ですから、そうした感情を持つのは当然です。ただ、それを外に出すかどうかは、その人のモラルの問題です。「自分だとバレなければいい」と思って書き込むのは、公共の場所に落書きをするのと同じで、そもそも問題のある行動です。
LC:ネットで悪口を書いたり、社会的に好ましくない行動をしたりする人は、そういう行動を生む精神状態自体が心配されるべきということですね。
小寺氏:はい、因果関係を間違わないようにしたいですね。受験勉強で朝から晩まで勉強させられている子がネットで悪口を書き込む場合、その子がすでに耐えられない精神状態にあると考えるほうが適当ではないでしょうか。改善すべきは「書き込みそのもの」ではなく、「書き込んでしまう状態」です。
ネット依存の研究でも、一日中ネットをしている人は、他の病気を抱えていることが多いことも分かっています。そういうケースでは、ネット利用を制御すれば、むしろ危険な状態になる可能性すらあるわけです。
メディア利用の是非は“時代の反応”──親が持つべき視点とは
LC:家族の会話や生活を守るために、子どもたちのメディア利用時間について、親はどのような視点で考えるべきでしょうか。
小寺氏:「子どもたちをメディアから守らなければならない」というのは昔からある発想です。
例えば、1940年代にロックミュージックが登場したとき、親たちは「音楽的感性が壊れる」と慌てました。その後、漫画や雑誌が広まると「本を読まなくなって頭が悪くなる」と批判しました。テレビやテレビゲームが出てきたときも「脳や精神が壊れる」「成績が落ちる」と言われましたし、携帯電話が出てきたときも「バーチャルなコミュニケーションで人間関係がおかしくなる」と批判されました。
つまり、新しいメディアが出るたびに「危険だ、守らなければ」という議論が繰り返されてきたわけです。
LC:インターネット、SNSだけではないのですね。
小寺氏:ずっと昔には読書ですら危険だと言われていた時期があります。「現実逃避になる」「空想にふけるからダメだ」と。でも、今は「本は読みなさい」ですよね。音楽や漫画、テレビも今はそこまで批判されません。
私は、ネットは今ちょうどその過渡期にあると思っています。自分が子どもの頃になかった不気味なものは、危険だという認識を生みやすいんです。
LC:確かにそうですね。
小寺氏:以前、ある学会で年配の先生が「子どもたちが適切にネットを使えるようにしなければならない」と話していました。そこで私は「適切な利用とは何ですか?」と質問したんです。
我ながら意地悪な質問でしたが、その先生は答えられなかった。「適切な使い方」ってキレイな言葉なんですが、誰も答えられないですよね。大人ですら「適切な使い方」が何か分からない。そもそも「適切な使い方」というものがあるのかどうかすら分からない。それが現在のネットの位置付けだと思います。
だとすれば、過剰に怖がる必要はないでしょう。むしろ、子どもたちの興味関心を伸ばすツールとしてどう使うか、一緒に考えたり楽しんだりするくらいの感覚でいいのではないでしょうか。生活の一部であり、勉強や運動などと同じように、家庭全体の生活の中で考えていけば良いのだと思います。
LC:ネットとメディアを避けるのではなく、上手く付き合っていく方法を子どもと考えていくのがいいのですね。
小寺氏:ただし、間違いなく言えることもあります。視力低下の問題は多くの人に生じるでしょう。姿勢も悪くなるかもしれません。運動もしなくなるでしょう。
これはネットだけでなく、あらゆるメディアに共通するトレードオフです。時間を使えば、他のことができなくなる。ネットばかり見ていれば睡眠時間や勉強時間、家族との会話が減ることもあるでしょう。
遊びのためにネットを使うなら、テレビやゲームと同じように時間を決めればいい。親が嫌だと思うものは禁止すればいい。今はフィルタリングなど親がコントロールできる仕組みも多くあります。生活の一部として、あまり慎重になりすぎずにうまく使っていけば良いのだと思っています。
LC:確かにそうですよね。
小寺氏:あとは、家庭でのネット利用は子どもだけの問題ではありません。もし子どものスマホ利用が気になるなら、親自身がずっとスマホを触っていることがないかも振り返ってみましょう。
何よりも「子どもを守る」というスローガンは聞こえは良いのですが、ネット社会では子どもに教えるだけでは解決しない問題の方がより重要です。
ネットで危険な行為をしているのも、子どもに危害を加えているのもほとんど大人です。子どもを守る必要があるのは、大人の側に問題があるからなんです。ネットをポジティブに使える社会を作ることが、子どもたちに対する大人の最大の責任なのではないでしょうか。
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