
専修大学 経済学部 教授
小川 健 / Takeshi Ogawa
【プロフィール/略歴】
理学部(旧数学科)から大学院より経済学に移る。2011(平成23)年3月博士(経済学、名古屋大学)。現在の担当は、国際経済論、資源・エネルギー論、数学補充科目、貿易論など。専門は近経貿易理論、水産物貿易(理論)、暗号資産教育、経済学教育におけるICTの活用など。貿易論に限らずマルチに活動。2015(平成27)年4月より現在の大学に移る。教育の工夫の一環として国際金融の講義に暗号資産教育や外貨建て保険等を取り入れてきた。
経済学が教える「生きる意味」と「働く現実」
LC Asset Design(以下LC):先生が大学で学生に「経済の知識」を教えるとき、「この知識は、これから社会に出たときに一番役に立つ」と考えているのは、どのような考え方やスキルですか?
OGAWA先生:「役に立つ」を「生きる意味を持てる」という意味で言うなら,貿易理論の基礎で出て来る「リカードの比較優位」を挙げます。
これは貿易の理論でありながら,「(どんな能力の劣った人でも)誰しもが生きて社会に貢献できる方法が世の中には存在する」ことを示し,その条件として必要なのは本質的には「あなたと私は(本当の意味で)違う,みんな違う」だけであり,これが数学の定理の形で(宗教などによらずに)証明できます。私はこの理論を知ってこの後も生きようと漸く思えました。
「役に立つ」が「生きる最低限はお金を稼ぐ」意味なら,私なら「労働需要は右下がりで,最低賃金を引き上げると被雇用者数は一般的に減る傾向にある」性質を取り上げます。最低賃金は生きる上での大事な指標で,ここを下回って働かせると訴えることが出来るのですが,ここが引き上がることで助かる人が出て来る反面,その金額では雇えないとしてお仕事がなくなり,その分だけ生活保護などの制度面にすがる事になります。
経済学の生徒にとってのプログラミング言語の本当の重要性
LC:現代の経済学の学生にとって、プログラミング言語の知識は、どの程度重要になっているとお考えでしょうか?
OGAWA先生:よく言われる俗説が「ソースコードなんてAIに書かせれば良いので,プログラミング言語の知識は要らない」というものですし,「ノーコード・ローコードが進展していくのでプログラミング言語の知識は不要になる」という俗説もあるわけですが,私はその説明は違うと考えています。
確かに,時代が進展するに伴って生成系AIのソースコードの作成能力は上がりますし,ソースコード作成等は生成系AIの「得意とする所」との説もあります。キントーン等をはじめ,「ノーコード・ローコードを旨とする項目の開発」も進んでいくでしょう。しかし,私は3つの観点からこの説は問題で,「その範囲内で」必要になる,と考えています。
- 出てきたソースコードは自分が答えたいことに対して「正しい」「妥当な」ものでしょうか。プログラミング言語を全く学んでいない場合には,この判断は「本質的には」出来なくなってしまいます。
尤も,「幾つか数値を入れてみて正しい結果になっていれば,正しいと判断して構わないのではないか」という説もあります。しかし,「それっぽかったから正しいとみなした」のではないのでしょうか。
私はこの説明では,敢えて経済でもプログラミングでもない例を利用して説明します。テレビドラマの各回の視聴率を基に「平均視聴率に対する95%信頼区間」を計算し,その95%信頼区間を利用しての危険率5%での両側検定をしてみます。(これは実はMS Excelでの講義項目ですが,MS Excelだけだと余り適したプログラムパッケージの無い項目のため,都度必要項目を計算する形を用意してやらせています。)勿論,こういうことは生成系AIに聞いて,その通りに動かしてみよう,ということもできます。
しかし,少し統計での「区間推定」を学ぶと分かりますが,生成系AIに「何も条件を付けずに」ドラマの視聴率から平均視聴率の95%信頼区間を出して,と言うと,余り適さない答えが返ってくる可能性があります。例えば,「1.96」を利用して出してくる事案などがそうで,実際にそういう答えが返ってきた例があります。1.96は通常,正規分布での95%信頼区間での出し方の際に使う鍵となる数字の近似値なのですが,「多くのデータがある場合」にしか適用できず,データ数が少ない場合(正確には小標本・分散未知の場合)には別の方法が必要です。
ところで,日本の通常民放等で流れているドラマは「週1回放送の3か月区切り」が一般的で,そのために各回の視聴率の情報とは通常1つのドラマには10回前後のデータ数しかありません。これは実は「日本特有」で,これが故に日本の民放テレビドラマは外国に出し難い点であり,「どの国の」とか「データ数」等の注釈を付けないなら多くの回が放送されている前提が一般的な可能性が高い訳です。
今ここで1.96を使った説明が出てきたときに,統計の素養があれば「それってこの意味ですよね?この場合はどうなんですか?」というハルシネーション(AIによる誤りの答え)の対策を少し取れるでしょう。しかし果たしてその「ソースコードだけ」が返ってきた際に,見抜くことは「プログラミング言語の知識がない人に」出来るでしょうか。実際にこの(正確にはt分布を使っての)場合には,この場合だと2点幾つ(2を少し超える値)が出て来ることが多いのですが,1.96のまま出した計算結果だけ見て,「あ,これ違うな」と判断できる人は相当限られます。
もし誤りを指摘出来なかったまま,その「間違った」結果のままお仕事先で使われて,その責任を問われたときにはどうするのでしょうか。「誤りは或る程度の確率で避けられない以上,その分だけ損害賠償の保険をかけて対処します」とは「会社の論理」としては言えますが,それで例えば亡くなった人がいたら,納得するでしょうか。
「ハルシネーションを見抜ける確率を上げるため」ハルシネーションの可能性が指摘できる程度にはプログラミング言語を理解する必要は,これから経済を学ぶ人にも必要と思われます。
2. 何故「プログラミング教育」が本格的に取り入れられるようになってきたのか,歴史的経緯を踏まえましょう。プログラミング教育が(小中高等の)初等・中等教育で「本格的に」入れられるようになってきたのは割と最近の事です。
確かに,21世紀頭位の高校の数A,数BにはBASICのプログラミング言語の単元があり,当時のセンター試験でも選択できました。しかし,当時は選択の一種で殆ど高校の授業で教えると言うこともなく,或る意味「センター対策のために」学んだレベルだった訳です。それが高校で「情報」の教科・科目が導入され,そこでプログラミングについて触れ出し,2025(令和7)年頃にはその「情報」が大学入試で国公立の受験には事実上必須となる所まで来ました。
「何故プログラミングを学んでおく必要があるのか」の説明の1つには,プログラミングは「限られた手順を組み合わせて答えに辿り着く必要がある場合の思考力を養うのに適しているから」との部分があります。これは実際に情報処理学会という学会の(SSSという)或る(部会の)大会内で,懇親の場面で聞いたお話です。
例えばA地点からB地点まで,地球儀的な観点では最短距離とは地球儀上で両地点を真っ直ぐ結んだ線の距離を指します。しかし,A地点からB地点まで最短で行く方法は?と言われると多くは違います。同じ町の中でさえ,少なくとも私有地なら乗り越えようと侵入すると不法侵入ですし,流れの速い川を挟むなら橋のかかった所まで迂回が必要です。「道が通っている範囲で」の最短距離:道路距離で考える必要があります。制約内でしか動けない在り方はプログラミングで学ぶべき点です。
経済やその周辺に置き換えましょう。例えば,「(襲撃などの)犯罪などの意味で原理的に全ての人が最も安全に過ごす方法は?」と聞かれると,全員を牢屋に拘束してしまえば襲撃は出来ないから「安全には」過ごせます。しかし自由は無く,決して幸せな帰結とは言えません。一方で,では「最も自由に過ごす方法は?」と聞かれると,犯罪があろうが誰も捕まえない,というのが実は最も「表面的には」自由に過ごせる方法です。しかし,そこには安全は無く,おびえて生活しなければなりません。
そうすると「どれ位のレベルで」このバランスを取れば良いのか考える必要があります。そうした決定も実は経済での問題の1つに該当し,近代経済学では「制約等を入れての」最適化を使って,他の経済学だと他の方法で各々答えを探っていきます。
こういう「色々な制約がある中で」望ましい答えを探る発想は経済にもプログラミングにも通じます。例えば「政府のお金が足りなくて予算が組めないなら消費税等の税金を上げれば?」と単純に結論付けられない点とか,「インフレ・物価高で人々が苦しむのが問題だから,その対策として知られている政策金利の引き上げを『インフレで苦しむ人が出なくなるまで』やれば?」と単純に結論付けられない部分とか,それぞれ「こうしちゃえば,では済まない部分」があります。「限られた手段の中で答えを探す」発想は,プログラミングの素養があるか無いかで理解度に差が出ます。
3. その「ノーコード・ローコード」のソフト・アプリ・サイトは「いつまで」「いつでも」使えるのでしょうか。ノーコード・ローコードの手段とは例えば「そのソフトなどが」或る程度代わりに書いてくれるから成立する訳であり,例えばこのお話の依頼のあった2025(令和7)年12/5(金)には「クラウドフレア(Cloudflare)」で障害が起きましたが,Zoomやメルカリの他に生成系AIのPerplexity等にも影響し,過去のCloudflareの障害ではChatGPTに障害が出たこともありました。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2512/05/news120.html
(2025-12-06最終アクセス)
通常なら「障害が直るまで待つ」訳ですが,時間的な期限その他で待てない場合はどうするのでしょうか。また,障害の中には例えば(dwangoのニコニコ動画など)数か月使えずに止まるなんて事案も有り,悠長に言えない場合もあります。
また,「その(ノーコード・ローコードを実現する)サービスが終了してしまったら」どうするのでしょうか。昔あったMicrosoft Mathematicsというソフトを例に説明しましょう。
例えば図の様にグラフを描く欄を入力しています。これは実際に効用関数u(x,y)=xyを例に,「無差別曲線」という近代経済学の概念を,3次元の図を基に視点を変えて図示しています。

ここではプログラミングを全く必要とはしていません。しかし,実際にはこういうことをしている,ということが後から確認すると分かります。

入力の欄を見ての通り,裏側ではしっかりプログラムを動かしている訳です。しかし,このソフトは2011(平成23)年にフリー化されていましたが,2021(令和3)年に公開停止になり,その後継で一部機能のみ引き継いで組み替えたサイト(Math Solver)も2025(令和7)年に公開停止になってしまいました。
さて,プログラミング言語を「学んでいなかった場合には」果たしてこの公開停止に対応できるでしょうか。私は無理だと考えています。しかし,公開停止・サービス終了なんて「急に」訪れるものです。ソフトとかであれば確保しておき,セキュリティの危険性を承知の上で使い続ける人もいるかもしれませんが(非推奨),オンラインサイトでは打つ手無しです。
以上から,プログラミング言語で簡単に書ける範囲位は自分で書ける方が良いのではないでしょうか。計算能力等と或る意味では同じです。全く手計算は出来ず,全て電卓に頼る場合には,その電卓が壊れたり電卓を忘れたりしたらお手上げです。
「いざとなれば自分で或る程度は打てる」事は大事であり,そこを超える部分や「普段,時短が必要な個所」ではノーコード・ローコードや生成系AIなどに頼る,という形にしておかないと,或る時急にお仕事や卒業論文に必要な分析が出来なくなりえます。
AIは学びを深めるか、思考を奪うか
LC:AIの発展は、今後経済を学ぶ学生にどのような影響を及ぼすでしょうか?
OGAWA先生:プラスの面とマイナスの面があります。
直接的なプラスの面として,先生に聞き辛かったことも聞けるようになる理解促進面に加えて,「考える学生には」有益な判断材料を提供してくれる面があります。とりわけFAQ等に無い項目を聞きたい場合に,先生が直ぐに動けるとは限らない面も珍しくない訳です。
また,執筆者は普段,offchaと呼ばれるログイン不要で使えるスマホ向けチャットルームを質疑応答のための場所として各科目で提示して使っているのですが,最近或る方から「他の人に質問していることをとにかく知られたくないから」この方法では質問し難い,という声がありました(注:offchaは一応,名乗らないで質問もできます)。offchaのやり取りの例を(名前は伏せ)一部抜粋しておきます。

そうすると「答えを確認できるまでが遅い」場合も起き得ますが,生成系AI等が発展すると(正しいとは限りませんが)とりあえず質問の回答を即時に確認できるようになります。
勿論「質問内容を他に知られずに」の観点では,(実際の生成系AIではその多くは入力情報も学習に利用してしまうので,他の所でその影響が出ますが)少なくとも当面は,個人情報を生成系AIに入れなければ質問したと周りに知られる事も無い訳です。
また,間接的には生成系AI等の活用によりFAQのような場所を各講義で設けて簡単な事案は先生抜きで対応させたり,生成系AIなどを活用して講義資料をより充実にできたりできます。
文章記述に対する各人に合った自動コメント付与の可能性も既に学会報告の例があります。
cf. 小松川(他)「機械学習モデリングを用いた学生の主体性を促すためのアドバイジング自動生成」2023年度日本リメディアル教育学会優秀発表賞。
一方で,負の面もあります。
まず,「考えようとしない」種類の学生にとっては,生成系AIは楽をするための手段にしかならず,その講義でその作業をさせる目的に合わない「楽をする行動」が起きてしまい,単なる無駄な作業になります。
1つ例を挙げましょう。執筆者は普段の国際経済が絡む講義で,次のように講義の冒頭に為替・金利の情報を提示し,毎週の課題の中に入れています。

この課題で執筆者は「手書きで写真に撮っても打ち込んでも良いので」ファイルの形で出させます。画像提示の上で,Google Driveで印刷・ダウンロード禁止かつ学内限定の形にして毎週提示し,何か大きな動きがあったら先ず為替や金利等,市場の情報に反映されるから,毎週確認する事で何となく頭に残っていて欲しいとしています。そのため,この情報をそのまま写真に撮って提出することは「言葉の上で」禁止しています。これは,単に写真に撮って出すだけでは頭には入らないからです。
しかし最近, iPhoneではこういうものでもスクリーンショットを撮って写真にすることで(AIによる文字認識の精度が上がってきていて)文字認識等が可能であり,ただ文字認識でなぞって貼るだけ,と実際に見せてもらいました。それでは頭にはこの水準は入りません。とはいえ,「打ち込み禁止」にはしていないので,言われなければ分からない訳です。ならば打ち込み禁止にすれば,と言われそうですが,今の生成系AIの中には「こういう人の字で,手書き風に」という所まで再現可能なものもあり,紙に書かせれば,と言うレベルではなく,難しいものがあります。
記述で書かせる課題も生成系AIに書かせたものを出す,なんてことも十分起きますし,中には「生成系AIが言っていることが全て正しいと思うから,生成系AIの答えを1つ先生側で提示しておき,これ以外の答えを,と言われても出せる筈がない」と言う声を上げた学生もいました(注:生成系AIが出してきた答えが全て正しい,等と言うのは幻想でしかありません)。勿論口頭では禁止しておいたとしても,本当に自分で答えたか,生成系AIに書かせたかは(2025年12月現在,生成系AI作成かの判別のできるツールが無い以上)正確に判断できなく,「止める手段」はありません。質問内容の工夫にしても,「そう生成系AIに出させるように指示したら?」等,手は尽きない訳です。
この点は例えば話し合いでもさせてみて,その結果を,と言う場合に話し合いの最中に生成系AIにその質問を投げかけてみた事例等もあった,という点を指摘しておきましょう。「生成系AIに頼って答えている関係で理解していないので,自分で答えろと言われても何をどう答えたら良いか分からない」訳です。これでは実力強化等できないでしょう。そのうち,テスト中にも(スマートグラス等でも経由させて)生成系AIに頼って,というトラブルも出て来るでしょう。勿論NGですが。
執筆者は全体としては負の影響の方が大きくなるだろう,と感じています。
未来のお金と経済を前向きに生き抜くための視点と行動指針
LC:我々が「未来のお金や経済」について不安にならず、前向きに考え行動していくために、どのような視点や心構えを持つべきか、メッセージやアドバイスをいただけないでしょうか?
OGAWA先生:まず世界経済は(色々な紆余曲折はあるにせよ)200年以上長期的には経済成長を続けてきました。自律的に経済成長できる「内生的成長理論」という理論が出て来るきっかけですが,どこかに伸びている国・地域はある訳です。伸びている所がある以上,そこを活用すれば明るい未来は待っています。
未来の「お金」と未来の「経済」は少し切り離して考える必要があります。
まず,未来のお金に関して前向きにとの観点では「お金を殖やしていける方法」について認められていく形になってきた点を知りましょう。昔は「お金は汗水たらして働いて得るものであり,不労所得等けしからん」と言われてきました。しかし,近年のNISA(少額非課税投資制度)の恒久化に代表される在り方は,お金は「原資としては」働いて稼ぐ上としても,そのお金を「殖やしていく」ことも正当な権利として認められた訳です。
NISAとは或る程度の金額までは投資して稼いだ部分に対する税金がかからないようにする方法であり,NISAが出てくる前までは金融所得には20%位(2025[令和7]年12月現在だと20.315%)の税金がかかっていました(国税・地方税合わせて)。これは例えば銀行預金の利子として5円利子が付いたレベルでも1円の税金が取られるレベルで(現在でも銀行預金はこの部分があります),そういう在り方しか無ければ「働いて稼げる部分に明るい未来が無ければ」お金に明るい未来は期待出来ない訳です。日本の経済成長が1990年代前半に事実上止まってから「失われた30年」と言われる位に日本の実質賃金やその原資となる1人あたりGDP(国内総生産:この値が大きい程,豊かな生活をし易くなる)は長期的には伸びていかなかったため,不安もあった事でしょう。
(参考:平成土地バブル崩壊後の1992~コロナ末期/NISA恒久化前2022年までの30年間の円建て1人あたり名目GDP変化率の平均:約0.336%,1人あたり実質GDP変化率の平均:約0.693%)
しかし,NISAの恒久化とそれに類する在り方として,個人用の年金を自分で殖やしていけるiDeCoの拡充とその近隣制度のDCの拡充,暗号資産に対する雑所得(最大税率は45%)から分離課税化(他の金融所得と同じく約20%)への検討など,「自分の手でお金を殖やしていける」手段は確保されつつあります。昔であれば資本家と労働者は切り分けて考える在り方が多かった訳ですが,今の近代経済学の各種理論の多くでは代表的家計は自分たちで働いて稼ぐこともし,自分達で資本収益つまりお金を殖やしていく事もする形を取ります。
では「自分の手でお金を殖やしていける」手段なんて素人にはあるのか?ずっと値動きを見続けるプロみたいな事を全員がやらないといけないのか?と思われる方もいるかもしれません。(AIに任せる他にも)株や(社債等の)債券を直接,と言うのは確かに少額で運用するにはリスク分散しきれない部分があり,その意味ではそうしたものをパッケージ化してプロに運用を任せることでリスク分散を或る程度してもらう投資信託があります。そして,ここで知っておいてほしい項目に「ドルコスト平均法」という方法があります。
この方法は資産運用の方法としては最善でも最良でもありませんし,倒産した会社の株のように「値下がりし続ける」場合には適しませんが,非常によく使われている方法であり,実際に現在の恒久化されたNISAでも「積立投資枠」という部分はドルコスト平均法での運用を念頭に置いています。
ドルコスト平均法の原理・原則は単純で,「毎期同じ時機(タイミング)で,同じものを,同じ額だけ買い続ける」というもので,投資のアドバイザーなどなら99%説明できないといけません。イメージを持つために,毎月3 000円ずつお給料日に或る投資信託に入れたとして,1月から始めて5月まで1口当たりこんな値動きをしたとしましょう。
| 1月 | 1,000円 |
| 2月 | 750円 |
| 3月 | 500円 |
| 4月 | 250円 |
| 5月 | 500円 |

1月より5月の方が値下がりしているので,1月に全額買って5月まで置いておいたら損をしているでしょう。しかし,3 000円ずつ買い続けた場合にはこんな動きになります。かかった費用は3 000×5=15 000で15 000円となります(本来なら時期の違うものは割り引いて考える必要がありますが,利子率は0に近く,その必要は無いとします)。
- 1月:3 000÷1 000=3で3口分(高いときはたくさん買えない)
- 2月:3 000÷750=4で4口分
- 3月:3 000÷500=6で6口分
- 4月:3 000÷250=12で12口分(安いときはたくさん買える)
- 5月:3 000÷500=6で6口分
この合計の口数を見ると 3+4+6+12+6=31で31口分ですが,5月は500円ですから 500×31=15 500で15 500円分の価値となります。15 000円入れて15 500円分の価値ですから,プラスになっています。
もしこの値動きが予め分かっていたなら,4月に15 000円分全額入れられれば5月には30 000円にはなる手段はあった訳で,収益を最大にする投資方法では無かった訳です。しかし,いつ底値・最安値になるかは過ぎてからしか分からない訳で,ならば同じ時機(タイミング)で「同じ額だけ」買い続けることで,底値・最安値に近い所で多く買える機会を逃さず,そうやってたくさん買えたものが値上がりする事で,上がり下がりするもので「長い目で見て」収益の確保を狙います。値動きの上がり下がりが激しいビットコイン等でも行えるでしょう(急に引き出したいときが値下がりの時期かもしれないので,あくまで長い間持ち続けられる状況で,に限りますが:長い期間行い続けることで,一時的な損失も補填し易くなります)。
そして,暗号資産にも(ビットコイン[BTC]だと実は該当しないのですが)イーサ(ETH)やポルカドット(DOT)など,専門用語で「Proof of Stake(PoS)型」と言われる暗号資産に関しては,交換業者に置いておく事で殖やしていける「ステーキング」という方法が(貸し出す以外に)出て来ました。
少し込み入った解説をすると,PoS型の暗号資産が基本的に,「保有量の多い所に優先的に」取引履歴のブロックの接続権を認めて接続報酬を得る仕組みになっている事から,交換業者としては預けてもらう事で「多く持っている」ように見せて接続権限を確保し易くするため,その接続報酬の一部を分配している形になります。尤も,(暗号資産の時価総額第2位の)イーサ等の値動きも株や債券の投資信託などに比べれば激しいので,値動きの激しい種類の外貨の外貨預金をしているに近い感覚なのですが,自分の手でお金を殖やしていける方法が暗号資産にも確立していった(単なる値上がり待ちだけでなくなった)点は明るい材料と言えるでしょう。
一方,「明るい経済」という観点では,世界全体は伸び続けているので,自分のやりたい事を最も活かせる国に行くための言語・宗教などの手段を学んでおくのは大事でしょう。かつての日本も,田舎から3大都市圏に夜行列車で出てきて,地方の田舎にあまり無かった(よりお給料の高い)お仕事を目指すことはありました。その行き先が国外に向くなんて時代もそう遠くはないのかもしれません。昔であれば国外で働くなんて一部の人だけのもの,だったかもしれませんが。
国際貿易の理論には「新貿易理論」で出て来る「自国市場効果」というお話があります。これは大小の市場規模がある所を考えた際,製造業の存在比率は市場規模のより大きな所に,その規模比率以上に集中する,という理論を指します。これまでは日本周辺には東京より大きな市場は無かったので,東京に来ればバイトは少なくともありました。東京の周りに東京より遥かに大きな市場が,例えばジャカルタや上海,シンガポール,シドニー,ニューデリーなどにできると,そちらに移って(市場規模の小さい)東京には運んでくれば良い,となってしまいます。今こそ外に羽ばたくチャンスなのかもしれません。
参考までに,「AKBグループ出身者で最も成功したのは誰か?」という問いに対してよく言われるのは,(例えば前田さん,大島さんや指原さんのような)有名どころではなく,ジャカルタで花開いた仲川さんである,というのはその手の界隈では有名な話です。
もっとも,外国には外国の言語以外に文化・風習もある事を忘れてはなりません。例えばジャカルタのあるインドネシアではイスラム教が最も宗教上は強い訳ですが,イスラム教にはお肉等の食に関する制限もありますし,イスラム教に1度改宗するとイスラム教を辞めることは許されません。上海やシンガポールの場合には政治的な自由は余り期待できませんし,ニューデリーの場合にはカースト制の影響や,お肉等の制限もさることながら,宗教的に聖なる川とされる川の衛生面の問題等もあります。
未来明るい国・地域に「動ける」選択肢がある,と知るだけでも意味はあるでしょうし,日本国内でも「何故ここがこんなに高賃金なの?」という場所は実はあります。その多くは言語面など,他の影響がある訳ですが,未来明るい経済のある選択肢が残されているというのは大事です。
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