「ケアを前提にしない進路選択」――“自分の人生を生きていい”という権利を考える

将来、親や家族のケアを担うかもしれない――そんな漠然とした不安が、進路選択や就職活動に影響している若者は少なくありません。

また、その中には、ケアを「いつか起こること」ではなく、「最初から前提」として自分の人生に組み込んで考えている人もいます。

しかし、本当に彼らは親・家族のケアを理由に自分の選択肢を狭めなければならないのでしょうか。

本インタビューでは立命館大学の斎藤真緒先生に「自分の人生を生きる権利」という視点から、進路とケアの関係を伺いました。

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介護を前提にしない進路選択――自分の人生を生きる権利を考える

LC Asset Design(以下LC)「将来、親や家族の面倒を見るかもしれない」という漠然とした不安が、自分の進路や就活、就職活動に影響を与えないようにするためには、今からどのような心構えが必要でしょうか。

斎藤氏:私自身、今期の秋学期に「ケアラー支援」をテーマにした教養科目を担当し、約60名の学生が受講してくれました。多くの学生がこの問題に強い関心を持って授業に参加していたのですが、私にとって印象的だったのは、親の介護をすることをほとんど疑問なく、自分の人生に組み込んで考えている学生が非常に多かったことです。

親の介護があっても自分の人生を生きられる、というよりも、最初から介護を前提に進路を考えることが当たり前になっている。その姿勢には正直、驚きました。幼い頃から、親の介護は「しなければならないもの」として自分の中に取り込まれ、暗黙の前提になっている若い人は多いのではないかと感じています。

また、晩婚化が進む中で子どもを持つ時期が遅くなり、一人っ子が増えています。大学生の中には、自分が卒業する頃には父親が定年退職を迎えるという家庭環境の学生も少なくありません。そうした状況の中で、「自分が介護をする前提で仕事を選ぶしかない」と、ごく自然に話す学生もいます。この問いは決して特殊な事例ではなく、非常に普遍的な問題だと感じています。

LC:たしかに、私も含め、そう考える人は周りに多い気がします。

斎藤氏:大学に入って初めて「ケアラー支援」や「ヤングケアラー」という言葉を知り、自分の人生をその視点から見つめ直すことはとても大切です。本来はもっと早い段階、小学校や中学校、高校といった時期から、自分の人生は自分で切り開いてよいこと、家族のケアと自分の人生は両立できるということが、教育や社会的メッセージとして伝えられる必要があると思っています。

その意味で、個人の心構えというよりも、「自分の人生を生きることは権利である」という考え方が、教育や社会の仕組みとして共有されていくことが重要だと感じています。

LC:ありがとうございます。「自分の人生を大事にしていい」というお話がありましたが、そう思えない人も少なからずいると思います。そのような場合、先生でしたらどのように伝えますか。

斎藤氏:数年前の調査では、保護観察下や少年院にいる子どもたちの約2割が、家庭内にケアの経験を持っていることが分かりました。

興味深いのは、そのケアについて否定的に捉えるだけではなく、約3割の子どもが「やってよかった」と答えている点です。ケアが生活の中で当たり前になり、そこだけで褒められると、その行為に自分の存在意義を見出してしまうことも起こり得ます。

大切なのは、自分自身の人生の中で、さまざまな選択肢を調整できる環境を整えることです。子どもだからといって、ケアに関わってはいけないとは思っていませんし、身近な人を支えたいという気持ちは自然なものです。ただし、その結果として、自分のやりたいことができなくなってしまうことが問題です。ケアに関わることすべてがマイナスだとは考えていません。

重要なのは、選択のプロセスの中で、自分のやりたいことがきちんと確認され、育まれてきたかどうかです。複数の選択肢を持った上で、その中で家族のケアを自分の人生の中にどう位置づけるのかを考える必要があります。

ケアしか選択肢がなく、それが当たり前で、そこでしか評価されない状況は、子どもたちから人生のチャンネルを奪ってしまいます。まずは、子どもたちが自分のやりたいことに挑戦する権利を確保し、その上でケアをどう人生に組み込むかを考える。この順序が非常に大切だと考えています。

LC:なるほど。ヤングケアラーや若者ケアラーは親の介護をする人が多いイメージなのですが、実際どうでしょうか?

斎藤氏:きょうだいの存在も関係してくると思います。親の介護は「ケア」として認識されやすい一方で、授業の中では、障害のあるきょうだいの世話を幼い頃から担ってきたにもかかわらず、それをケアだと捉えていない学生も多く見られました。

ケアは親の介護だけではなく、障害のあるきょうだいや家族の世話、病気の家族の世話、あるいは不登校や引きこもりで社会との接点を失った兄弟を支えることも含まれます。

ケアは実はさまざまな場面で起こりうるものであり、その広がりを意識することも大切だと考えています。

ケアを一人で抱え込まないために必要な“距離”の考え方

LC:親の健康状態が少し気になり始めたとき、必要以上に背負い込まず、適度な距離感で見守るためには、どのような点を意識するとよいでしょうか。

斎藤氏:親に限らず、家族との関係全般に応用できる話だと思いますが、ケアに関わる気持ちや動機は人それぞれだと思います。

例えば、これまで育ててもらったことへの恩返しや、子どもとしての義務感、あるいは私が調査研究してきた男性介護者の事例では、これまで大きな苦労をかけてきたから、その埋め合わせとして介護で恩返しをしようと考える方も少なくありません。

こうした気持ちを持つこと自体は自然なことですが、「償い」のような形で介護に深く入り込んでしまうと、そこから距離を取ることが「自分が逃げている」「自分を甘やかしている」という感覚につながりやすくなります。その結果、ケアを一人で抱え込んでしまうことにもなりかねません。

LC:なるほど。義務と感じてしまうと、自分の人生を生きられなくなりそうですね。

斎藤氏:はい。ケアは、基本的に誰か一人だけで担えるものではなく、複数の人で支え合うべきものだと思っています。実際、一人では対応できないことも多くあります。

そのため、自分がケアを担う場合でも、どの程度関わるのか、誰と協力するのかといった点については、どのような動機でケアを引き受けるにしても、あらかじめ考えておくことが大切なポイントだと思います。

LC:ありがとうございます。

適度な距離感を保つために、家族であらかじめ決めておくと楽になるルール、例えば連絡頻度や緊急時の基準などはありますか。

斎藤氏:これまで「ルール」という観点で考えたことはあまりありませんが、とても大事だと感じているのは、ケアから離れられる「時間」「場所」、そしてケアラーとしてではなく、その人が個人として評価してもらえる人間関係です。

ケアは相手のニーズを優先し、自分のニーズを一時的に横に置いて、時間やエネルギーを使う行為です。そのため、自分自身のニーズが後回しになりやすくなります。これが24時間365日続くと、ケアはどうしてもつらくなっていきます。

ケアラーがケアを続けていくためには、自分のやりたいことや自分のニーズが、部分的であっても守られる環境が必要だと思います。

例えば、子どもであれば学校に行く、友達と遊ぶといった時間ですし、大人であれば仕事を辞めずに働き続けられることが分かりやすい例でしょう。

LC:要介護者以外と関わることで、「ケアラー」としてだけではない、その人の本人らしさを取り戻せそうですね。

斎藤氏:はい。ケアから離れられる時間、場所、人間関係、そして社会的な評価が確保されている環境を作り、それを保つことは、ケアラー自身のメンタルヘルスの観点からも非常に重要ですし、ケアの質という観点からも大切だと考えています。

特定の人だけが自己犠牲的にケアを続けていると、ケアを受ける側も申し訳なさを感じますし、ケアをする側にとっても大きな負担やストレスになります。その結果、ケアの質は下がってしまいます。

だからこそ、さまざまな人が関わり、それぞれが過度な自己犠牲をせずにケアにコミットできる体制を作っていくことが大切だと思います。

ケアの悩みはどこに相談する?ケース別に考える最初の窓口

LC:家族の病気や怪我によって、突然自分がケアを担うことになった場合、まずはどこで情報を集めたり、誰に相談したりするのがよいのでしょうか。役所や相談窓口があれば教えてください。

斎藤氏:この質問は状況によって答えが異なるため、少し難しい部分があります。

自治体によっても対応は違いますし、例えば病気の場合は、医療的な判断が必要になるため、まずは病院が窓口になるケースが多いでしょう。病気の種類によっては、医療機関でなければ分からないこともあります。

例えば、認知症の疑いがある場合には認知症外来がありますし、介護サービスの利用を考える段階であれば、地域包括支援センターが相談先になることもあります。

LC:ケアが必要な理由やサービスの利用予定など、個々の状況によって異なるのですね。他にはどのような違いがあるでしょうか?

斎藤氏:ケアが始まる経緯もさまざまです。急にケアが必要になるケースもあれば、家族の生活が徐々に変化し、気づいたらケアラーになっていたという場合もあります。

例えば、家族の中にメンタルヘルスの不調を抱えている方がいて、少しずつ生活に変化が生じていくようなケースです。

現時点では具体的な問題が顕在化していないものの、「この先が不安だ」「まだ病院にかかるほどではない」と感じる場合には、本人が子ども・若者の相談窓口などにアクセスすることも可能です。このように、相談先はケースバイケースだと感じています。

LC:要介護者自身が相談できることもあるのですね。最初にヤングケアラーの話が出ましたが、ヤングケアラー専門の相談先もあるのでしょうか?

斎藤氏:はい。ヤングケアラー支援が法律として位置づけられ、現在さまざまな施策が進められています。ヤングケアラー支援では「家族まるごと支援」という考え方が重視されています。

これまでの福祉や医療の仕組みでは、病院にかかると病気や怪我をしている本人が支援の対象となり、その隣でケアをしている家族は、基本的に支援の対象として見られてきませんでした。

しかし、ヤングケアラー支援が社会課題として認識される中で、病気や怪我をしている本人だけでなく、その隣で支える家族やケアラーも含めて、家族全体に関わっていこうという考え方が、社会的な合意として形成されつつあります。

この考え方がさらに広がっていけば、病院であっても、地域包括支援センターであっても、子ども総合相談窓口であっても、どの窓口に相談しても、病気や怪我をしている本人だけでなく、ヤングケアラーや家族全体に配慮した支援が受けられる仕組みが、今後さらに整っていくのではないかと考えています。

このような形で、将来的にはどの窓口に相談しても、家族全体を視野に入れた支援につながる社会になっていくのではないかと思います。

支援は「気づいてから」ではなく「つながりの土台づくり」から

LC:家族だけが抱え込まずに済むよう、地域の人や近所の人など、専門家ではない一般の人が、さりげなく手助けできる小さな行動や声かけの例があれば教えていただけますでしょうか。

斎藤氏:地域のあり方自体がこれまでとかなり変わってきていると思いますしそもそも地域とのつながりを持たない方も、今は決して少なくないのではないでしょうか。

私が大事だと感じているのは、「ケアラーになっていそうだから声をかけよう」という形にならないことです。そうした意識で声をかけられると、誰しも警戒してしまうと思います。ですから、ケアラーになったから声をかけるのではなく、それ以前からのつながりがあることが大切だと考えています。

例えば、挨拶でもいいですし、ご近所で顔を合わせたときやゴミ捨ての場面で挨拶を交わすだけでも構いません。また、地域や自分の生活圏の中で、フラットで対等な関係としてつながれる活動に、日頃から根ざしておくことが重要だと思っています。

「ヤングケアラーだから声をかけよう」となると、何かをしてあげる・してもらうという非対称な関係が最初から出来上がってしまいます。多くの人は、本当に困ったときには必要だとしても、最初から「弱い立場」に置かれる関係を望まないのではないでしょうか。

LC:たしかに、対等に接してもらえたほうが自分らしく関われそうです。

斎藤氏:だからこそ、支援が必要になってからつながるのではなく、自分自身が助けを必要とする前から、そうした土台をつくっておくことが大切だと思います。それは、声をかける側・かけられる側に限らず、すべての人にとって重要なことです。

スポーツでも、趣味でも、推し活でも構いません。同じ方向を向いて楽しめる関係の中でつながりをつくっておくことが、後々とても大きな意味を持ちます。そうした土台がない状態で、困ったときにいきなり相談するのは、やはり難しいものです。

私自身、子どもに障害がありますが、子育ての中でとても良かったと感じているのが、地域のラジオ体操です。夏休みに、ダイエットも兼ねて子どもたちと毎日参加していました。本当に「おはよう」と言ってラジオ体操をするだけです。特別な声かけがあるわけでもありません。

ただ、それを一か月続けると、「今日は暑いね」といった何気ない会話が自然と生まれ、顔見知りになっていきます。そうすると、私の知らないところで、子どもたちが地域のおじいちゃんやおばあちゃんに声をかけてもらえるようになります。

それはとても自然なつながりで、目に見えないセーフティーネットになっていると感じています。誰かに助けてもらわないとできない関係ではなく、フラットな関係だからこそ、つながりやすく、土台ができていくのだと思います。

困ってから声をかけるのではなく、日頃からいろいろな人と、同じ方向を向いて楽しみを共有する。そうした場に意識的に身を置くことが、将来的にソーシャルサポートネットワークへと発展していく可能性があると感じています。とても大切なことだと思います。

少し長くなりましたが、いかがでしょうか。

LC:ありがとうございます。フラットな関係を築いた後に、介護やケアをしていることを表に出していなくても、「もしかすると限界まで追い詰められているかもしれない」と感じた場合、周囲の人はどのように見極めればよいのでしょうか。

斎藤氏:本当に誰にも知られたくないのであれば、必死に隠すと思います。むしろ、無理に探り当てようとする関係は、あまり良い信頼関係とは言えないのではないでしょうか。

大切なのは、何かあったときに「実はね」と話せる関係をつくっておくことだと思います。そのために、「いつでも自分のタイミングで話していい」というメッセージを、あらかじめ伝えておくことは有効です。

また、自己開示してもらいたいのであれば、まず自分が自己開示をすることも一つの方法だと思います。誰でも、話すことでジャッジされたり、見下されたりするのではないかという不安を抱えています。だからこそ、まずは自分が話す姿勢を見せることが大切です。

ただし、話すタイミングは人それぞれです。「こんなに尽くしているのに話してくれない」と感じるのは違うと思います。その人のタイミングを尊重し、「いつでもいいよ」という姿勢で関わることが、支える側としてとても重要なのではないかと感じています。

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